2009年京都の紅葉・1
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先日ずいき祭の神幸祭の日、北野天満宮の御旅所まで行ったので、そのちょいと東にあるもの。
商店街のなかにぽっかりと穴があいている。
『四之保社跡の威徳水』である。
『空海が掘った井戸とも伝えられている。
威徳水は、密教の僧が「大威徳」の法を修する時、閼伽水として用いたという。
大威徳は五大明王のひとつ、大威徳明王のこと。威徳水は、この世の悪、病気を払いのける大威徳明王の念力というほかない。
井戸水が湧き出た時、「人の病気に良く効く」と観音様のお告げがあったと伝えられている。
甘い良水なので、秀吉が催した北野大茶会にも用いられた。』(案内板より抜粋)
かたわらには、「北野天満宮七保ノ内 新長谷寺古跡」の石碑。
さて、仕事に行くにはまだちょいと時間があるので、再び神幸祭の巡行を追いかけようと自転車でうろちょろしてますと・・・
こんなところにも天満宮が!安楽寺天満宮というらしい。
七保のうち、一之保と四之保があるのなら、二之保、三之保、五、六、七はどこに?石碑でも残ってないの? と思いつつ、この日はお仕事へ・・・。
調べてみますと、7つの所在地がわかりましたので、後日現地調査へ。
まず、北野天満宮七保とは、菅原道真が大宰府で亡くなった後、随徒の人々が帰京して右京の地に建てたと言われている七ヶ所の御供所のこと。
地図はこちら。(ただし、二之保社、三之保社、五之保社、六之保社の位置については推測であり、正しいものではありません)
一之保社。天神道仁和寺街道下ル西側。安楽寺。延喜五年(905)、菅原道真の霊を筑紫よりこの地に迎え、道真自作の像を安置したのがはじまりだそうな。なお、安楽寺地蔵堂に安置されていた矢止地蔵は、ヤニドメ地蔵ともいい眼病祈願の信仰がありましたが、いまは近くの弘誓寺に移されています。

安楽寺天満宮は明治六年、北野天満宮に移され、末社一之保神社となりました。後年、再び当地に分祀されました。(上の写真は末社一之保神社)
二之保社。上ノ下立売天神道西入堀河町、紙屋川東岸。文政九年(1826)北野社へ移転、合祀。現地に痕跡なし。
三之保社。二条通紙屋川東岸。長宝寺と称し、祭神は野見宿禰。洛陽三十三観音の二九番札所でしたが、明治六年、北野社境内へ移転。現地に痕跡無し。本尊の十一面観音は五尺ほどで道真が梅ノ木で作られたものといわれますが、行方不明。
四之保社。下立売通西大路西入ル西ノ京中保町。新長谷寺。道真自作と伝える枕箱観世音像を祀ったが、元文五年(1740)に廃社となりました。尊像は三重厨子に入り、北野天満宮宝物殿に収蔵されています。現在残っているのは、最初に紹介した井戸跡のみ。
五之保社。天神道下ノ下立売上ル行衛町。満願寺。現地に痕跡はありませんでしたが、元禄一五年(1702)洛東岡崎に移転、現存してました。場所は岡崎法勝寺町。動物園のちょっと北。

”満願寺は示現山と号する日蓮宗の寺院で、もとは西ノ京にあって、天慶三年(940)に北野朝日寺の最珍を開山として創建されたと伝える。当初は真言宗に属した。元禄十年(1697)に日蓮宗へ改宗するとともに、元禄一五年現在地へ移転。本堂は移転後まもなくから造営されたもので、京都市内に残る日蓮宗の一般寺院本堂のなかでは古い方に属する。建築的には、桁行三間・梁行一間の身舎の四周に一間幅の裳階をまわして背面に内陣部を突出し、さらにその後方に土蔵造の奥陣を付設した複合建築で、変化に富んだ外観をみせている。”ということで、土足厳禁とかかれた階段に靴を脱いであがると、ハトのフンだらけで、あえなく退散。

境内には「俊寛僧都故居碑」や、映画監督の溝口健二の碑などがありました。
六之保社。天神道下立売下ル。阿弥陀寺。寛保三年(1743)真言宗に改宗、殊尊院と改称、明治初期に廃寺。痕跡なし。
七之保社。花園艮北町。成願寺。妙心寺から妙心寺道をちょっと東に入ったところに現存。

七保天満宮として創建され、いったん廃れますが、元禄二年(1689)三井家によって松樹山成願寺として再建され、本門法華宗になりました。元禄時代の寺域は現在の三倍、約三千坪もあり、今の山城高校のグラウンドも取り入れていたらしい。以後、三井家の祈願所となり、七堂伽藍が整備されましたが、明治の廃仏棄釈により社殿拝殿は北野御旅所へ移され、明治十三年に三井家の援助により本堂が再建されました。ここにあった道真自作といわれる十一面観音像は西蓮寺(下ノ下立売御前通東入ル)に移されています。

平安時代の貴族藤原忠親の日記「山槐記」に京の百基の塔に詣でたことが記されており、初日に木辻の塔から廻ったという。その木辻の塔がこの成願寺にあったと思われ、応仁の乱で焼失したようです。この塔は近年、幻の木辻の塔を多宝塔として再建したもの。
以上、ひょんなことから始まった北野天満宮七保社めぐりでした。
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10月1~5日は北野天満宮のずいき祭。
今日1日は神幸祭。

午後1時の出発にあわせて、そろそろ整列。客待ちのタクシーも移動。

午後1時ちょっと過ぎ、ようやくスタート。獅子や太鼓につづいて導山(みちびきやま)の天狗。

八乙女さん。かわいいですね~。御旅所で舞の奉納がございます。

白梅町交差点を進む行列。この間10数分、今出川通西行は完全にストップ。

こちらは御旅所。一行がこちらに到着するのは午後4時ごろ。露店のおっちゃんたちも、まだ準備中。

屋根はずいき、芋のくき。ほかの飾りもほとんどがなすやゆず、とうがらしなど農作物で作られております。
これらの農作物は、いまでも地元の農家自ら作られているそうです。
この瑞饋神輿は4日の還幸祭のとき天満宮へ向かいます。
この還幸祭は、単に「巡行を終えた天神様が本社に御帰りになる」というだけでなく、「おいでまつり」の別名が示すように、「大宰府で御隠れになっ
た菅原道真公の御霊が神様として初めて北野の地においでになる」という御遷座の由来を回顧し再現するという意味があります。年に一度、御鎮座の往時に思い
を致し御神霊を「お迎えする」ことで氏神としての天神様を改めて意識し、感謝するのだそうです。
ずいき祭巡行経路はこちら
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